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代表 伊藤嘉章の軌跡
DECEMBER.1980 ギフトとの出会いをたどれば・・・

今から約30年以上前、私が大学生だったころ、毎年夏と冬には、三越百貨店の ≪お中元・お歳暮配達≫ のアルバイトをやっていたことがルーツなのです。

東京のJR新橋駅周辺、新橋1丁目~6丁目・東新橋・西新橋というエリアは、今でも会社と飲食店がほとんどですが、当時大学生3~4人が一軒一軒自転車で配っていました。

中でも、新橋駅烏森口にある、"ニュー新橋ビル" という超大型複合ビルは、なかなか手ごわい相手でした。

何しろ、地下の飲食店・ゲームセンターから始まって上層階のオフィスまで、ありとあらゆる業種の店舗・事務所が巨大迷路のごとく、ところ狭しと並んでいるのです。

目的の届け先を見つけるのに一苦労し、「まるで神経衰弱ゲーム」の感覚で、仲間とスピードを競っていました。

また当時、夏は "カルピスギフト" がたいへんな人気で、あの ≪ビン入り濃縮カルピス10本入り≫ なんていうと、重量が9キログラムにもなるのです。

届ける先には、エレベーター無しの3階オフィスなども存在したので、配送センターに到着するのを見つけるたびに、皆で「おーい、また ≪おもピス≫ が入荷したぞー」と呼び合っていました。

AUGUST.1984 建設工事現場にて

新卒で入った会社も、ギフトと少なからず関係があり、企業向けの販売促進用景品には、 "マグネポスト" 、"スグぴたコロ" など多くの自社開発商品もありました。

その時代は特に、"広告入100円ライター" が広告マッチに代わって全盛期で、ロゴマークの確認原稿や商品サンプルを持って、東京都内を走り回る日々でした。

そんな入社3年目の春、官公庁や各種民間施設に施工・配置する、什器備品の担当部門へ異動になり、"飛騨高山のホール建設現場" への長期出張という任務がやってきたのです。

実は、飛騨高山に赴任するにあたり、初めて自分のクルマを買ったのですが、"これ幸い" と幼少のころから の憧れだった、ジープ型の四輪駆動車(ダイハツのタフト/下写真)を 『借り上げ社用車』 として認めさせたのです。

そもそも勤務は "長期出張" ですから、東京の会社からは "帰社せよ" という指示が定期的に来るわけです。

社用車ですから、堂々と高速道路を走れるのですが、見てのとおりオープンカーなので、" 恵那山トンネルの 排気ガス" だけには閉口しました。

当時、日本橋浜町にあった会社では、私自身ではなく 『この車』 が人気者で、定員6名めいっぱいの女子社員をのせて、銀座通りを闊歩していました。

NEW YEAR.1985 ニューヨークの伊藤嘉章

1984年のクリスマスイブ、私はカリブ海の島国トリニダード・トバゴの首都Port of Spain 発ニューヨーク JFK 行きアメリカン航空の機上の人となっていました。

年が明けた1985年は、スティール・ドラムの路上演奏者として、ニューヨーク・エンパイヤステートビル前をふり出しに、ジャズの聖地ニューオーリンズ、ルンバのマイアミビーチ、南米ペルーのリマ、大西洋を渡ってロンドン、アムステルダム、音楽の都ウィーンを経由して、東西冷戦のソビエト連邦をシベリア鉄道で踏破し、北京から香港まわりの東京行きという壮大な演奏旅行をスタートするのです。

スティール・ドラムの路上演奏
木琴の音板を完全5度に配列する実験
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